何気ない生活の中で、心に浮かんだ言葉や、本に載っていた言葉や、目にした言葉から、幸せになる考え方を身に付けて行きます!! 僕の独断的な考えですが… 僕の思考の修行ですね☆
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Posted by しあわせのぜん
 
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目の前の人に何ができるだろうか
目の前の人に何ができるだろうか

感謝してます


目の前の人が、
余命数か月という人だとしたら、
何をしてあげれるだろうか?



人の体は生まれた時から、死に向かって進むことになります。
その人生としてさまざまな経験をすることになります。
人が人として生まれ生きてきた経験が人生なんだろうなぁ。
そして人としての肉体から卒業ということになりますね。


「生まれること」「死ぬこと」を一つのサイクルだとしたら、
なぜこのサイクルが出来上がっているのかということを考えたら、
「それは必要な出来事だから」としか思えません。


たとえば、小学校に入学したら、
あとはどういう形であろうと卒業(退学もある意味卒業と同じ)があります。

そういう経験を何度も繰り返してきます。
学校だけではありません。
人や社会との関係でも、その繰り返しです。

それを大きくしたのが人生かもしれません。

だから、人生って肉体が終わったら「終わり」ではないと思うんです。

エネルギー医学がヨーロッパから広がりつつあるけど、
人間は肉体という物質的な部分と魂というエネルギー的な部分からなると思うんです。
ただ、物質については目に見えるから調べること(調べようとすること)が進みやすいけど、
エネルギーについては人間は未科学(非科学ではありません)な領域なんです。

だって、僕らは生きているけど、僕らと同じ構造をそのまま作ったとしても、
それは生きている「人」ではないですもんね。

だから、魂となった存在がまた学びを必要としたときに、
再び肉体を持つことを許されて、
この世でさまざまな経験を通して学ぶと感じるんです。


自分が余命を知らされたとき、
こういう考え方をしていると、
結構気楽に生きることができるかもしれません。
そして、余命を知らされたからこそ
さまざまなことに気づき感謝できるかもしれません


でも、目の前の人がそうだったら、
どうしましょう!!

必要なのは、
その人を諭すことでも、無理やり元気づけることでもないのかもしれません。
ただ、その人がいてくれてうれしい
そういう接し方がその人の魂に幸せな経験として残るのではないでしょうか。

その人に対して、どれだけ自分が無償の愛を出し切ったか。

それが人として生きていることのうれしさなのかもしれません。


結局は、余命がいくらかに関わらず、
ちょっとしたことでもいいから、無償の愛を出してきたか、
そして、その人のことを「必要なんだよ」って存在を肯定してあげたか、


それがとっても大切なように感じます。


僕もそうですが、
普段の何気ない世界では思いも考えもしないことで、
気づかないで過ごしてしまう日々でも、
究極なときを考えてみたら、
大切なことに気づくかもしれません。

でも、その大切なことって、
究極なときだからできることじゃないんですよね~
普段からできることがほとんどですね。

大変な状況は、何かを気づかせてくれる機会なのかもしれません。

だから、ピンチはチャンスっていうんですかね~

いつでもどこでも辛いときは
「おい、ぜんよ、大切なことに気づいてちょんまげ!!」
って、何かが教えてくれている「タイミング」なんですね

それに気づき行動できるよう、進ませていただきますね☆

今日も気づきをありがとうございます

生かしていただき、ありがとうございます

あなたに感謝してます

ポチッと押すと、僕に勇気が湧き出てきます。


僕は子供のころ、十二支をこの曲で覚えました。
なつかしいな~
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Posted by しあわせのぜん
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